静岡市から長野市往復、セミナー旅5/5 (川中島合戦古戦場=八幡原史跡公園=編)

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セミナーを終えて、長野市のホテル国際21駐車場を出て一路、長野ICを目指します。看板に川中島合戦古戦場跡まで1kmという看板が。
偶然です。実は余裕があればよりたいと思った川中島合戦古戦場が帰路のルート上にあった。いまは八幡原史跡公園となっていて博物館もあるようですが、帰宅時間も気になりますので今回は川中島合戦古戦場跡のみとします。

第4次川中島合戦
第4次川中島合戦 実は川中島合戦は5回(通算12年)あったがそのうち4回目が一番激しかった。赤が武田軍(本体0.8万+別動隊1.2万)、青が上杉軍(1.3万)。結果は武田軍の損害4000人、上杉軍3000人。特に武田軍の損害はひどく、信玄の弟の副将格の武田信繁を失ったのは大きい。下手をすると武田家滅亡の遠因ともいわれている人物。有名な隻眼の軍師山本勘助もここで戦死。

執念の石
執念の石 信玄と謙信の一騎打ちの際に、武田軍の原大隅守が謙信とは知らず、馬を槍で刺す。謙信は逃げてしまう。
あとでそのことを知って、原大隅守は槍で石を割る。これが執念の石。

八幡原神社
八幡原神社 今は古戦場が神社になっている。帰路の安全を祈願する。このことによって高速道路上の事故寸前を免れる。

中部横断道路を走っているとき、前のトラックが急な車線変更(ウィンカーなし)、進路をふさがれた私は追い越しモードだったので、ブレーキの前にシフトダウン。その後に車線変更したトラックのいたスペースにとっさに逃げ込んでセーフ。急ブレーキの前にシフトダウンをいれたのはタイヤの空転を避けるのとエンジンの回転数を残しておいて空きスペースに逃げ込む際の加速を助けるため。

信玄、謙信の一騎打ち
信玄、謙信の一騎打ち これは信玄謙信の出てくる時代劇なら必ず出てくるシーンです。謙信は軍神といわれるだけあって信玄の作戦の裏をかいて急襲、
損害を与えたが武田別動隊が追い付いてきて数的不利に。千曲川、犀川を渡って越後に逃げ帰った。

途中でそばを食べて無事に午後8時半に家に帰りつく。