長岡駅周辺のランニング

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新潟の出張は長岡駅周辺に泊りました。翌朝、長岡駅周辺をランニングしました。
ちなみに長岡駅は長岡藩の長岡城のあった場所にたっています。
長岡駅、良寛像
長岡駅、良寛像 良寛は出雲崎出身で穏やかな人柄が愛された僧侶です。今の若者は知っているかな

旧長岡高校跡
旧長岡高校跡 戊辰戦争に敗れた長岡藩。城下町は焼けて困窮を極めたところ、隣の藩から米百票が送られてきた。これを食べずに、国漢学校を作った。
これが新潟県立長岡高等学校の始まりです。人材を育てるそれが国の発展につながるという考え方です。

山本五十六記念館
山本五十六記念館 連合艦隊司令長官山本五十六の生家跡の祈念館 本名は高野氏、父が56歳のときに生まれたので五十六です。
ここから山本家に養子にいきました。以前、中学校時代の作文をみたことがあります。遠足の作文だったと思うのですが、大人かとみまがうきれいな字。そして、見事な
文章構成でした。今の大学生は勝てないかもしれない。そのくらい秀才だと思いました。

長岡戦災資料館
長岡戦災資料館 太平洋戦争中に長岡空襲というのがあって、長岡市は大変な被害にあった。その慰霊花火が長岡花火です。
その点は静岡の安倍川花火によく似ています。
その戦災の資料館が長岡市にあります。

この他、長岡の偉人というと幕末の河合継之助。このかたは戊辰戦争を戦い、戦死した長岡藩の家老で、司馬遼太郎の「峠」の主人公です。
江戸に学び、良い意味で経営学を心得長岡藩の改革を行った。さらに中立国を目指し武装して、江戸幕府と朝廷との中間的位置づけを狙う構想でしたが
破綻して戊辰戦争となりました。
非常に河合継之助は開明的で、当時三丁しかないガットリング砲(機関銃)を2丁購入していて、朝廷群を大いに悩ませますが多勢に無勢破れて逃げる途中に被弾した足の傷から黴菌が入り破傷風で亡くなります。
長岡は非常に文化や歴史のある城下町香りがします、工業の盛んな三条や燕は雰囲気として下町的雰囲気がします。


歴史を知り待ちを知る。そして人を理解する。コンサルとして重要と思います。